私が政治の世界を目指すワケ
ウェブサイトを開設いたしました。これからこちらでいろいろな情報をお知らせしてまいりますので、どうかよろしくお願いいたします。
記念すべき最初の記事ですが、やはりまずは「なぜ政治の世界を目指そうと思ったのか?」についてお話しするべきかと思います。プロフィールには簡単に記載していますが、あらためて私がなぜ決意したのか、その経緯と思いについてもう少し詳しくお話しさせてください。
私は津山高専の電子制御工学科を卒業後、新潟県の長岡技術科学大学に進学し、大学院まで修めたあと東京で就職しました。その後約8年間、主にITエンジニアとして従事していました。その間には、研究職や営業職など、様々な立場で社会の仕組みや課題解決の手法を学ぶ機会にも恵まれました。
Uターンして見えた、地域の課題と「逆三猿」の性分
故郷である津山に戻り、一人の市民として、また一人の親として、町内会やPTAの活動に積極的に参加しています。
もともと私の性格は、課題やお困りごとを見つけると、見て見ぬふりができず、ついつい首を突っ込み、口を挟みたくなる。「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿とは真逆で、「見せて・言わせて・聞かせて」という、言わば「逆三猿」のような性分です。
青壮年会や神社総代、小学校のPTAといった地域活動に参加する中で、改善すべき多くの課題に直面しました。教育委員会の研修会や、市長・市議会議員の方々が開催する市政報告会にも足を運びましたが、知れば知るほど、市政に対する「なぜ?」という疑問は増えていきました。(このあたりについては、また別の機会に詳しくお話ししようと思います)
決意のきっかけは「母校」と「地域の声」

そんな日々の中、大きな転機が訪れます。それは、母校である清泉小学校が成名小学校と合併するニュースでした。その時、ふと「あれ?20歳までこの地域に育ててもらったのに、戻ってきてから何も恩返しができていない」という思いが込み上げてきたのです。
調べてみると、私が育った清泉小学校区周辺からは、長い間、市議会議員が選出されていませんでした。「道路や水路の補修を市役所にお願いしても、なかなか順番が回ってこない」という声も耳にします。
市長や市役所の皆さんも津山を盛り上げようと頑張っておられます。が、津山中心部や合併で一緒になった地域はその恩恵が濃いものの、どうも清泉小学校区のように合併前の津山市で中心部から離れたところにその恩恵が届いていないのではないか。
さてどうするか。鬱屈とした気分を抱えながら考える日が続き、そしてついに一つの考えにたどり着きます。
「代弁してくれる人がいないのならば、自分がなればいい」
私の性格にも、この役割は合っているはず。20年間育ててくれた地元への恩返しを、今こそ本気でする時だと決意しました。
さらに、清泉小学校区だけでなく、他にも同じように取り残されたような地域がこの津山にあるのではないか。そんな地域はないほうがいい、清泉小学校区も含めて私の思い過ごしであれば、それに越したことはありません。しかし、それを一市民の立場で確認するのは難しい。残念ながらもし存在したならば、そういった地域もカバーすることができれば、津山全体が良くなっていくのではないか。その様に考えるようになりました。
いまこそ地方政治が活躍すべき時
話題は変わりますが、多くの市民の皆様が、津山市役所や市議会に対して、どこか懐疑的で、距離を感じているのではないでしょうか。その原因は、市民の考えが市政に届きにくい一方で、行政や議会の考えもまた市民に伝わりにくいという、双方向の「溝」にあると私は考えています。(このあたりも、あらためて詳しくお話したいと思います)
この「溝」を埋めることこそ、地方政治の本来の仕事のはずです。
幸い、私には東京で培ったITの知識と経験があります。かつては難しかった情報共有や意見交換も、現代のテクノロジーをうまく活用すれば、もっと円滑に、もっと身近にできるはずです。市民の皆さんが市政をもっと信頼し、もっと関心を持てるような仕組みを、作っていきたいと思います。
これが、私が政治の世界への進出を決意した、主な理由です。まだまだ書ききれていないことがたくさんあります。それらはまたこれからの記事で、少しずつお話しさせていただきます。またお付き合いいただければと思います。
